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明治時代 [稼ぐ]

日本では天空に近い山の上に弥勒浄土があるという信仰が中世の頃からありま
した。また弘法大師は亡くなる時、自分はこれから弥勒菩薩のいる所へ行って、
56億7千万後に弥勒菩薩とともにこの世に戻って来る、と言ったという話が
伝わっています。こういった弥勒信仰をベースに、明治時代の大石凝真寿美は
弥勒菩薩は日本に降りてくるとして「仏説弥勒下生経」と「弥勒出現成就経」
を書き、これらの思想は出口王仁三郎らにも影響を与えたと言われます。

弥勒信仰自体は聖徳太子の頃既に朝鮮半島などでも盛んだったようで、かなり
古い時代の弥勒菩薩像が国内にも何体も残っています。この頃の弥勒菩薩像は
京都の広隆寺のものに代表されるような、片足を曲げてもう一方の足の上にの
せ、手の指を頬に当てて何か物思いにふけるような美しい姿をとっています。
これを半跏思惟像(はんかしいぞう)といいます。逆に半跏思惟像はたいてい
は弥勒菩薩像ですが、奈良中宮寺の如意輪観音像のような例もあります。この
中宮寺の像は指を微かに内側に曲げていて、この様子が非常に微妙な安らぎを
与えています。

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